著作物といえるためには、表現されたものでなくてはなりません。なぜなら、表現されていないものは文化の発展に寄与しているとはいえず、また私人の自由に対して過度の制約をしないようにする必要性があるからです(田村・概説11頁、18頁)。
前者の理由を敷衍(ふえん)して裏からいえば、表現されていないものを保護しないという観点は、「情報の豊富化に役立ち、文化の発展という著作権法上の趣旨に合致する」ということです(中山・著作権法45頁)。つまり、著作権法は思想そのものを保護しないという法制は、創作へのインセンティブとなり、文化の発展・多様性に資するという考えです。
また、後者の理由は、日本国憲法が保障する思想・良心の自由(憲法19条)との関係をいっています。思想・良心の自由は、それが外部に向かえば表現の自由(同法21条)、宗教的方面に向かえば信教の自由(同法19条)、論理的・体系的な方向に向かえば学問の自由(同法23条)の領域に関係するものであり、よって近代憲法の根幹をなす優越的地位を占めています。そこで、思想・良心の自由を過度に制約しないような立法が必要であるということです。
たとえば、ある学説を主張する研究者Aと、この学説を支持する研究者Bがいたとします。学説そのものは思想です。このとき、かりに学説そのものを著作権法で保護することにしてしまうと、BはAの学説を論文で表現することができなくなります。著作者であるAの許諾が必要となってしまうからです。また、当該学説を厳しく批判する研究者Cがいた場合、AはCに利用許諾を与えないでしょうから、CがAの学説を論文で批判することもできません。
しかし、学問の発展においては、学説がさまざまな者により発表・伝達されて、議論により展開されることが必要不可欠です(大阪高判平成6.2.25「数学論文野川グループ」事件参照)。また、他人の学説を支持したり、批判する者などの学問の自由や表現の自由との関係でも、学説自体を保護すれば重大な弊害をもたらすおそれがあります。したがって、学説そのものを保護するわけにはいかないということです。
このように、「表現したもの」の要件により、アイディアや思想、理論、見解、
どんなによいアイディアがあっても、それ自体は著作権法で保護されないのです。上記説明の「創作へのインセンティブとなり〜」の部分はわかりにくいかもしれません。これはたとえば、有名な画家の画風ですとか、科学における学説といった非表現物を、だれかに独占させずに万人にまねさせて利用させたほうが、作品を作るうえでの刺激となって、文化の多様性にとってはよいのだということです(「学ぶ」の語源は「まねぶ」「まねる」です)。
よく「あの作品は〜のパクリだ」ということがありますが、そこでいうパクリというのはアイディア・発想の盗用でしかないことがあります。これは著作権法上なんら問題ありません。日常生活上の「パクリ」と、著作権法上の「パクリ」とでは、その対象・範囲がまったく違うことに注意してください。後者のほうがより限定的です。
たとえば、自然科学上の法則は万人にとって共通した心理・アイディアであり、何人に対してもその自由な利用が許されるべきであるので、著作物ではありません(大阪地判昭和54.9.25「発光ダイオード学位論文」事件)。さらにいえば、同じ自然法則を説明しようとする限り、似たような表現が避けられないことが多いのが通常ですから、創作性も認められないでしょう(大阪地判平成16.11.4「インド人参論文」事件)。
科学に属する学問分野である数学に関しても、方程式の展開を含む命題の解明過程は思想そのものでしかなく、著作物とはいえません(前掲「数学論文野川グループ」事件)。
ただし、自然科学上の法則であっても、創作的に表現されれば著作物になりえます(前掲「インド人参論文」事件)。社会科学上の思想についても同様のことがいえます(東京地判昭和53.6.21「日照権」事件)。
また、ルールであっても、それがルールブック(規則書)として創作的に表現されれば、同様のことがいえます(東京地判昭和59.2.10「ゲートボール規則集」事件)。ゲームルールの解説書についても著作物と認められた例があります(東京地判平成元10.6「タロットカード」事件)。
マンガのキャラクターは、「漫画の具体的表現から昇華した登場人物の人格ともいうべき抽象的概念であって具体的表現そのものではなく、それ自体が思想又は感情を創作的に表現したものということはできない」ので、著作物とはいえません(最判平成9.7.17「ポパイ・ネクタイ」事件)。ただし、キャラクターが描かれているマンガは著作物であるため、これをポスターに複製して著作権者に無断で配れば、著作権侵害となります。
著作物に登場する人物や設定を利用して続編を創作するさいに、著作権者の許諾が必要かという争いがありますが、登場人物や設定はアイディアであり、著作権者の許諾は不要でしょう(田村・概説70〜71頁、436頁)。
キャラクター自体も、著作権法では保護されないということに注意してください。著作権がらみの事件でキャラクターが保護されているようにみえても、それは「キャラクター」が保護されているのではなく、「キャラクターが表現された作品」が保護されているにすぎないのです。
アイディアを保護する法律としては特許法や実用新案法があります。これらの法律では、新規性や進歩性、登録などの要件を課すことにより、アイディアを限定的に保護しています。これに対して著作権法は、アイディアが表現された物(創作的な表現物)を広く保護しているのです。
たとえアイディアに新規独創性があり、実用新案権が認められるようなものであっても、表現されたものに創作性がなければ著作物とはいえず、著作権は認められないことに注意してください(大阪地判昭和59年1.26「万年カレンダー」事件)。