1)情報としての著作物

著作権が対象としているのは、人の思想・感情が表現されたもの(著作物)であるところ、著作物は情報という無体物です。つまり、著作物には形がなく、観念的な存在です。たしかに、私たちが通常目にしている書籍や絵画、音楽CDなどは有体物であり、その存在を視認することはできます。しかし、それはあくまでも無体物である著作物が、紙やCDなどの媒体物に記録されることによって(これを固定といいます)、姿を現したにすぎません。

著作物の正体が情報であることは、インターネットで配信されている作品を思い浮かべればわかりやすいでしょう。たとえば、小説や音楽、映画、ゲームなどはインターネットを通じて配信されることがありますが、これらは物理的な存在ではなく、デジタル情報として存在しているものです。著作物が情報であるがゆえに、有体物である媒体とは分離して流通できるのです。

2)著作権と所有権の関係

これに対して、所有権が対象としているのはであり、有体物です(民法85条)。たとえば、土地や建物などの不動産、食品や文具、衣服などの動産などがあげられます。このように、著作権と所有権は対象とするものが違います。したがって、無体物を客体とする著作権と、有体物を客体とする所有権とは、原則として無関係に並存します(例外は45条、47条)。

これはつまり、所有権が移転しても必ずしも著作権は移転せず、著作物を複製するなどの利用のさいには、別途契約により著作権の問題を処理しておく必要があるということです。所有権の取得のさいに金銭を支払い、さらに著作物の利用にさいに金銭を支払うことになりますが、著作権と所有権とは別個の概念である以上、当然のことといえます。

たとえば、書店で小説を買うという行為は、売主である書店が有している小説の所有権を、買主が金銭を支払って取得するための売買契約(民法555条)にすぎません。ここでは、著作権者から著作物の利用許諾(63条)を得たわけでもなく、著作権の譲渡(61条)を受けたわけでもありません。つまり、著作権者と買主とは、なんら著作権に関する契約を締結していないのです。

また、美術館や博物館が、その所蔵品の観覧にさいして観覧料を請求しているのは、著作権とは関係がありません(最裁判昭和59.1.20「顔真卿自書建中告身帖」事件参照)。あくまでも、観覧にさいして建物の一定のスペース内に立ち入り、所蔵品を観覧することを許すための対価として、入場者に観覧料を請求しているにすぎないのです。

著作権法を学んでいない多くの人は、著作権と所有権とをごちゃごちゃにして考えています。書店で買ってきた小説の所有権は自分にあるのですが、著作権は小説を執筆した者(ないし著作権を譲り受けた出版社)にあります。したがって、「おれが金を払って買った小説なのだから、自由に小説を複製して配布してもよい。おれにはその権利がある」というわけにはいきません。
 なお、「顔真卿自書建中告身帖」は、「がんしんけい・じしょ・けんちゅうこくしんちょう」と読みます。